整骨院の社長が机の下にうずくまっていた頃の話。自分の前提が崩れた絶望と、そこから立ち直った理由
セラピスト向け
机の下にうずくまっていた社長の、絶望と復活の記録
X(旧ツイッター)での発信やスタッフへの物言いから、瀬谷崎は強気な経営者だと見られることが多いようです。その本人に、スタッフが「逃げ出したくなったことはないんですか」と正面から聞いた動画を公開しました。答えは「割とある。しかもかなり大きめの絶望が何回か」。自分が教えてきた前提が崩れ、エビデンスとは何かが分からなくなり、売上もスタッフの士気も落ちた時期に、何が起きて、何が立ち直りのきっかけになったのか。同じ場所で足が止まっている先生に向けて書きます。
治療家が自分の前提を疑う場面は誰にでもあります。ただ、10人のスタッフに教え込んだ後で前提が崩れるのは、一人で悩むのとは重さが違います。会社を11年経営する中で、池袋の事務所の机の下に体育座りをしていた時期の話です。
スタッフによるインタビュー動画(約22分)。本記事は要点を絞っているので、言い回しや間合いは動画で確認できます。
まなぶ先生
教子先生
瀬谷崎会社を辞めたくなったことは、割とある
雇われていた頃の瀬谷崎は、半年間スタッフ全員から距離を置かれる時期があっても「どうやったらこの人たちを辞めさせられるか」と考えるくらい、負けん気で動いていました。自分では強気の自覚はなく、自分に甘く他人に厳しいところはある、と本人は笑います。
ところが経営者になってからは様子が違います。11年会社を続ける中で「根本的に経営者に向いていない気がする」と何度も思ったそうです。上司に怒られても翌月にはきちんと給料が入る会社員が、心底うらやましく見えた時期もあった。半分は冗談として語られますが、経営の重圧が本物であることは、この後の話で分かります。
最初の絶望は、自分が教えてきた前提が崩れた日
いちばん深く沈んでいたのは4〜5年前、大山に住んで池袋の事務所に通っていた時期です。事務所の机の下で体育座りをしている、床に寝転がってうずくまっている。そんな姿をスタッフに目撃されるほど追い込まれていました。
きっかけは、Xでフォローしていた勉強熱心な鍼灸師の先生が書いた、BPSモデル(ビーピーエスモデル、生物心理社会モデル)についてのnote(ノート)記事でした。それまでの瀬谷崎は、解剖生理学とバイオメカニクスを土台にした施術を「正しい」と信じ、スタッフにも徹底して落とし込んでいました。その記事を読んで「自分が見ていた視野は全然狭かった」と痛感します。
痛みを、組織の損傷という生物学的な要因だけでなく、不安や信念といった心理的要因、仕事や家族関係といった社会的要因も含めて多面的にとらえる枠組みです。慢性痛の理解には欠かせない見方で、当院の記事では慢性疼痛の患者教育で心理社会的要因をどう伝えるかでも扱っています。
問題は、気づいたときにはすでに10人ほどのスタッフを抱えていたことです。「今まで自分が教えてきたことは、間違っていたかもしれない」と伝えなければならない。その現実が重すぎて、3ヶ月ほど「見なかったことにしよう」と目をそらしてしまった、と瀬谷崎は振り返ります。
エビデンスとは何か、という問いで足元が消えた
自分たちが正しいと信じていたことが正しくないかもしれない。その疑念は、何のために院をやっているのかという存在意義まで揺るがしました。瀬谷崎は統計学や科学の方法論を深く学び始めますが、そこで次の壁にぶつかります。
「エビデンスがある=正しい」という認識に対して、主観的な「痛み」を扱う自分たちにとって、根拠とは一体何なのか。西洋医学的なアプローチの歴史は、長く見積もっても200年程度しかありません。昔のシャーマンが「頭痛の原因は呪いだ」と言って儀式をし、それで楽になった人がいる。子どもに「痛いの痛いの飛んでけ」と言うと、泣きやむことがある。良くなる患者さんがいるという一点では、自分たちの根拠に基づいたはずのアプローチと、これらは何が違うのか。
それまで瀬谷崎は、根拠を説明できない施術に対して批判的な立場を取ってきました。その自分が、批判してきたものと自分たちのやっていることの違いを、明確に説明できなくなった。「こんなに勉強して、落とし込んで、店を出して、患者さんを呼ぶ意味があるのか」。ここが絶望の底でした。痛みの本質を問う話は痛みとは何かを考えた記事や腰痛の4500年の歴史から痛みの見方を考えた記事でも扱っていますが、当時の瀬谷崎にとっては知識ではなく、足元が消える体験でした。
現場に伝染した絶望と、最悪の決算会
経営者のテンションの低下は、そのまま現場の士気に伝わります。売上は下がり、スタッフが辞める辞めないという騒動にまで発展しました。投げやりになった瀬谷崎は「スタッフ1人分の売上くらい自分が稼げばいい」と現場から距離を取り、アカデミー(社内研修)の教材づくりと臨床の勉強に没頭するようになります。
記憶が飛んでいるほど病んでいた4年前の9月、決算会でのスピーチは本人いわく最悪のものでした。「今までやってきたことは無駄だったのではないか」「この事業を続ける意義がないのではないか」。自分の中の絶望をそのままスタッフ全員にぶつけ、会場のモチベーションをひたすら下げて終わりました。
逃げていた先に、研修の仕組みが残っていた
ただ、この逃避には副産物がありました。臨床の現実から目をそらして作り続けていた膨大なスライドとマニュアルが、結果として研修コンテンツを非常に充実したものにしていたのです。当時は現実逃避のつもりだった作業が、後で会社を支える柱になります。この伏線は、復活のきっかけの話で回収されます。
立ち直りの糸口は、迷っている状態を肯定したこと
ではどうやって心の折り合いをつけたのか。第一歩は「いろいろ迷っている、葛藤しているこの状態自体が、良いことなのではないか」と思い直したことでした。周囲の経営者から「そこまで深く考えている整骨院の経営者は少ない」と言われ、自分の悩みに価値を見いだせるようになったといいます。
もうひとつは、自社の価値の再定義です。どれだけ勉強しても、介入の成績が劇的に上がり続けるわけではない。それでも、学べばリスクは減らせるし、慎重に患者さんと関われるようになる。つまり「予想よりマシな状態を提供できる」ことが自分たちの価値だと置き直しました。派手さのない結論ですが、この地味な価値の置き方が、その後の会社の背骨になっています。
まなぶ先生
教子先生
瀬谷崎「間違っていた」と伝えたら、スタッフは前を向いていた
3ヶ月目をそらした末に、瀬谷崎は「今まで教えてきた方針は間違っていたかもしれない」とスタッフに伝えます。反発を恐れていましたが、返ってきたのは「社長がそう言うなら転換しましょう」という反応でした。「社員のことを舐めていたかもしれない」と本人は言います。今では「定期的に、自分が間違っていたと認める周期を作った方が安心する」とまで語れるようになりました。
教育する立場で前提を変えるときに、動画から拾える要点を挙げておきます。
- 気づいた時点で伝える。目をそらした3ヶ月の間に、現場の士気と売上は静かに下がっていた
- 「間違っていた」は信頼を崩す言葉ではなく、新しい前提に一緒に移るための合図になる
- 前提を変えることを一度きりの事件にせず、定期的に見直す周期として仕組みに組み込む
決定打になった2つの出来事
心の置き方が変わっても、本気で前を向くには外からの発破が必要でした。動画で語られた決定打は2つです。
- 初期メンバーの川口からの問いかけ退職騒動のさなか、川口から「会社として200店舗出すと言っていたのに、どうするんですか」と問われました。社員との約束を果たすために、もう一度腹をくくる決意が固まった瞬間です。
- 研修の仕組みが、1人の成長で証明された逃避のつもりで作っていた教育コンテンツが実を結びます。1年目は不器用で怒られてばかりだった中村が、この仕組みで学んだ2年目には一人前のセラピストになっていました。教育システムへの自信が生まれ、約3年前から200店舗展開へ本気で再始動しています。
復活のきっかけが「自分の内側」ではなく、スタッフの問いかけとスタッフの成長だったことは、この動画の中でいちばん大事なところだと感じます。経営者の絶望を救ったのは、経営者自身の発想の転換ではなく、育てた人たちでした。
臨床を免罪符にしない、という採用の基準
現在の目標は、直営で100店舗、そこにスタッフが自分のコンセプトでやりたい店舗を合わせて200店舗という規模です。そのために求める人物像も、動画ではっきり語られています。
臨床を大事にするのは当然の前提です。ただ、それを免罪符にして「売上は上げたくない」「お金はもらいたくない」と言う人は、来てほしくない。価値のあることをしているのだから、適正な対価をいただく。その利益で新しい店舗を出し、働く環境を良くしていく。臨床と売上の両立ができる人を求めています。この考え方は臨床と売上のあいだで悩む治療院に向けた記事や整骨院経営で社員を守るとは何かを書いた記事と地続きです。
インタビュアーのスタッフも「知識をひけらかして患者さんを機械のように見る治療家にはなりたくない。人と人としての関わりや対話を大事にしたい」と語っていました。流れ作業の施術はしたくない、グレーな保険請求はしたくない、正しい知識を学びたい。そういう柔道整復師や鍼灸師の方は、同業の先生の見学も歓迎しています。請求の考え方については整骨院の不正請求は何が問題なのかを書いた記事で扱っています。
迷い続けることが、続ける力になる
前提が崩れ、根拠が分からなくなり、現場も売上も落ちた。そこから戻ってこられたのは、迷いを消したからではありません。迷っている状態に価値を認め、「予想よりマシ」という地味な価値を自分たちの軸に置き直し、スタッフに間違いを認めたからです。そして最後に背中を押したのは、育ててきたスタッフの問いかけと成長でした。
いま同じ場所で足が止まっている先生がいるなら、その迷いは深く考えている証拠でもあります。逃げている間に作っているものが、後で自分を支えることもあります。この記録が、その時期を通り抜けるための材料になればと思います。
瀬谷崎





